透析中止で死の選択肢を提示した「公立福生病院」患者が死亡し立ち入り検査へ。問題点は?

透析中止で死の選択肢を提示した「公立福生病院」患者が死亡し立ち入り検査へ。問題点は?

事件の概要

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昨年8月、福生病院組合が運営する「公立福生病院」で腎臓病患者の44歳の女性に対し人工透析治療をやめる選択肢を提示し、治療中止から1週間後に女性が死亡しました。

また、他に30代と55歳の男性患者が治療を中止し、55歳の男性が死亡したということです。

6日、都は医学会のガイドラインから逸脱している可能性を鑑みて医療法に基づき立ち入り検査をしました。

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今回の問題点

日本透析医学会が2014年に発表したガイドラインには以下の記載があります。

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※維持血液透析の見合わせについて検討する状態

1:維持血液透析を安全に施行することが困難であり、患者の生命を著しく損なう危険性が高い場合

2:患者の全身状態が極めて不良であり、かつ「維持血液透析の見合わせ」に関して患者自身の意思が明示されている場合、または、家族が患者の意思を推定できる場合

このガイドラインに抵触していると判断されています。

人工透析について

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慢性腎臓病になると余分な水分や塩分、老廃物を尿として体の外に出す機能が次第に損なわれて行きます。

進行して腎不全の末期症状となると機能の回復は見込めなくなり、身体に異常が現れてしまいます。

その際に余分な水分、塩分や老廃物の排泄を代わりに行う治療法が透析です。

透析は腎機能を回復させるものではないので、腎臓を移植しない限りは生涯続ける必要があります。

塩分、水分の制限など、非常に厳しい自己管理も必要になります。

また、週2~3回、4時間程度も透析に時間がかかる事や、毎回、太い針を刺さなければならず、血液が通る時に血管が痛む場合もあります。

その他、頭痛や吐き気を伴う場合もあり、それを一生涯続けることを考え鬱になってしまう人も多いといいます。

死ぬ権利はどの基準で判断するか

今回、日本透析医会の見解としては自殺を誘導しており倫理に反する医療とは無関係の行為であると批判しています。

1991年に神奈川県の東海大学医学部付属病院で末期がんの患者に対して家族の要望で医師が塩化カリウムを注射させ安楽死させた件があるのですが、その行為は殺人罪として起訴されました。

これは裁判で医師による安楽死の正当性が問われた現在までで唯一の事件として認識されています。

この事件で、安楽死を許容する条件として以下の要件が挙げられました。

1・患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2・患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3・患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4・生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

この事件では患者が昏睡状態だったために1と4の要件を満たさなかったとして懲役2年執行猶予2年の有罪となりました。

患者の家族から強い要望があり、執行猶予が付けられました。

家族からは見るに堪えない状況だったのでしょう。

だからこそ家族からすれば自分たちが行使する事のできない殺すという行為を代替的に行ってくれた医師に対して感謝こそすれど恨む事ではありませんでした。

今回は亡くなる前日に患者は透析中止を撤回する意思をみせていたといいます。

亡くなった女性の夫は

「透析治療の中止は『死ね』と言っているようなものだ」と夫は言う。治療を再開しなかった外科医に対する不信感は消えない。「医者は人の命を救う存在だ。『治療が嫌だ』と(女性)本人が言っても、本当にそうなのか何回も確認すべきだと思う。意思確認書に一度サインしても、本人が『撤回したい』と言ったのだから、認めてほしかった」

このように取材に対して語っていたそうです。

外科医は「正気な時の固い意思に重きを置いた」と説明しています。

今回は誰もが医師に対して感謝をする行為ではありませんでした。

また、医師は終末期であったと主張しており、それが事実だった場合、前述の安楽死を許容する要件に照らし合わせると、意思確認書に署名していたという事から3以外の要件に当てはまる事になるのではないでしょうか。

透析を中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったということです。

感謝される行動であったとしても罪であり、周囲が納得できない行為である方が要件をより多く満たしているという状況なのですが、この基準は実に曖昧であるといえるでしょう。

かなり個人の主観も影響してしまうのではないでしょうか。

また、透析を行っていたとしても当時、助かる状況であったかもわかりませんし、意思確認書に反した行動をとったと非難される可能性もありました。

どちらにしても、明確に罪として断罪する事はあまりに難しい問題であると思います。

ネットの声

まとめ

もし、自分が認知症になり家族の事を忘れて、何か暴れたり家族に迷惑をかける状況が続いていたらと考えると、それでも生きていたいと思うでしょうか、安楽死させてほしいと願うでしょうか。

一切、身体が動かない状況が年単位で続いて、想像を絶する激しい痛みを定期的に感じる生活を続けていたらどうでしょうか。

個人的には、生きていてほしいと願う人がいれば、生きる事を考えようかなという程度でしか考える事ができません。

逆の立場であったら、それでも生きていてほしいと願うかもしれません。

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とうたすかかか

今も胸を締め付けるのは、助けを求めたとみられる女性からの1通のメールだ。夫は手術の際、自分のスマホを病院に預かってもらった。退院して電源を入れるとメールが届いていた。「とうたすかかか」。死の当日(16日)の午前7時50分の発信。自分も病室で横たわっていた時刻だ。「とう」は「父ちゃん」の略で、夫の愛称だという。死の間際、「父ちゃん、たすけて」と打とうとしたのではないか――。

形見になった平仮名の7文字。「あの時すぐにメールを見ていれば、助けに行って、透析治療を受けられるようにしてあげたのに。今も生きててほしかった」

このように、旦那さんは毎日新聞の取材に答えていました。

安楽死については、この先も答えが出にくい問題だと思います。

しかし、継続して透析している人や末期がんなどの人の痛みをそうでない人はどのような痛み、辛さを抱えているのかを体験する事はできません。

また、自身でそれを選んだとしても、経過で考え方が移り変わっていく問題であると思います。

安楽死、尊厳死についてどうしていくべきなのか、意思決定の明確なあり方は早めに整備されるべきだと思いました。

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