切り裂きジャックの正体はまだ判明していない?世界で最も有名な未解決事件の詳細、容疑者は?

切り裂きジャックの正体はまだ判明していない?世界で最も有名な未解決事件の詳細、容疑者は?

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1世紀を超える未解決事件であったホワイトチャペル連続殺人の切り裂きジャックの正体が判明したと報じられました。

世間を大いに騒がせた事件ですが、どのような事件で、なぜ有名になり、そして犯人はどうして捕まらなかったのでしょうか。

連続殺人鬼「切り裂きジャック」の事件の詳細と正体について紹介したいと思います。

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切り裂きジャック事件について

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1888年8月31日から11月9日、ヴィクトリア朝時代のイギリス、ロンドンで多くの娼婦が殺害されました。

人数については色々な説がありますが、身元不明の遺体も含めると20人に以上に及ぶ可能性もあるといいます。

5人は確実に切り裂きジャックにより殺害されており5人の被害者の女性は「カノニカル・ファイブ」とよばれています。

世界的に有名な猟奇事件は多々あります。

ゾディアック事件」「ボストン絞殺魔事件」なども有名ですが、切り裂きジャックという名称は、世界屈指の知名度を誇るのではないでしょうか。

なぜそこまで有名になったのかというと犯行声明を送り、常に公共の場に近い場所で殺人が行われているのにも関わらず、100年を超える年月を経て未解決だった事が理由です。

犯行予告を新聞社に送りつけるなどの劇場型犯罪の元祖となったのが切り裂きジャックです。

また、犯行がとにかく筆舌に尽くしがたいほど残虐であった事も理由として挙げられるかと思います。

後世のミステリー小説などにも大きな影響を与える事件でもありました。

そんな切り裂きジャックのエピソードを時代背景と共に紹介していきたいと思います。

イーストエンドの時代背景

紀元後2世紀頃からローマ人によりロンドンの周辺に防御壁が作られました。

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これは現存しており、タワーヒル駅近くで見る事ができます。

中世以降には銃眼や追加の関門が設置される事になり、防壁の東側とテムズ川の北側の地域を「イーストエンド・オブ・ロンドン」と呼称していました。

この地域は16世紀後半頃から労働者階級の人が多く住む貧困街でした。

1800年代後半になるとアイルランド移民、ユダヤ人の移民などが増加し、貧困層と移民層が集中する混沌とした街となります。

およそ1世紀の間、イーストエンドは貧困、人口過密、病気、犯罪を意味するほどにそれは悲惨な状況であったといいます。

1889:  Children sitting under a washing line hanging acoss a courtyard in a slum area of London

両親や夫を亡くした女性は、その当時、就ける仕事はあまりなく、昼は花売りや掃除婦として働き、夜は場末の居酒屋がひしきめきあう中で娼婦をする人が多数いたといいます。

切り裂きジャックの事件、真っただ中の1888年10月の時点で、ホワイトチャペルだけで1200人の階級の低い売春婦、62の売春宿が存在したといいます。

そのような中で切り裂きジャックの連続殺人が起こると街がどれほどのパニックになるか想像がつくかと思います。

第一の殺人「メアリー・アン・ニコルズ」

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最初に犠牲となったのは42歳の娼婦「メアリー・アン・ニコルズ」です。

錠前屋の父親のもとに生まれたメアリー・アンは18歳の時に印刷機を製作する仕事をしていたウィリアム・ニコルズと結婚し、5人の子供に恵まれるも末っ子の誕生に立ち会った看護婦と夫が不倫関係となり、その後に夫はメアリー・アンの元を去ったといいます。

旦那の言い分としてはメアリー・アンが夫を捨て売春をしていたというものだったようですが、事実関係はわかりません。

夫の浮気が発覚してからアルコールに溺れるようになり、実家へ戻る事になるも父親とケンカになり、転々とした生活を送るようになります。

ウィリアムは週5シリングをメアリー・アンに支払っていましたが、娼婦として働いている事を知り不法な手段で収入を得ていたとして支払いを中止します。

そのような背景もあり、売春婦としての生活を余儀なくされたメアリー・アンはいつものように客を探すために深夜12時半にパブを出て街を徘徊します。

午前2時30分頃までは目撃情報があったものの、午前3時40分、ロンドンのホワイトチャペル付近の路地裏を巡回していた巡査が仰向けで倒れているメアリー・アンを発見します。

遺体は喉を切り裂かれ、陰部から腹部にかけて切開されており腸が飛び出している状態で、性器にも刺し傷があったといいます。

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第二の殺人「アニー・チャップマン」

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メアリー・アンの事件から8日後の9月8日、第二の犠牲者となったのはアニー・チャップマンです。

アニーはもともと中産階級の出で、犠牲者の中では教養のある人物でした。

切り裂きジャックの事件の被害者の多くは母親であり、アニーも3人の子供のお母さんでしたが末っ子の子供は障碍者で、長女は12歳で髄膜炎で亡くなりました。

そのような背景からアニーと夫はアルコールに溺れるようになり離婚となります。

別れた後は週に10シリングの手当を旦那から受け取っていましたが、夫がアルコールが原因で死亡すると支払いが突然停止します。

かぎ針編みを作る仕事や売春をしながら日々を繋いでおり、事件当日の1888年9月8日、宿代が払えずにパブを出て客探しをしていたところ、死体となって発見されました。

アニーの遺体は首を切られ首と胴が皮一枚でかろうじて繋がっている常態で、メアリー・アンと同様に腹部が切開され内臓が引き抜かれていました。

また、犯人は子宮と膀胱を切り取り持ち去っていたといいます。

ジャックザリッパーからの手紙「親愛なるボス」

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犯人は当初「革エプロン(Leather Apron)」と呼ばれており、切り裂きジャックという名前はまだつけられていませんでした。

メアリー・アンの殺害をきっかけに色々な憶測を呼んだのですが、アニーの殺害後に浮上した容疑者は当時、売春婦を脅して金を要求していた人物でした。

警察はすぐに捜査を開始しますが、残念ながら彼と事件を紐づける証拠はなかったため逮捕には至りませんでしたが、革のエプロンを着ていたという事から「革エプロン」として名前が広がり、警察が証拠不十分としたにも関わらず多くの人は彼が犯人であると断定するようになり、新聞でも報じられたことがきっかけで犯人=革エプロンという図式が成り立ってしまったのです。

切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が誕生したのは9月25日付けに出され9月29日にロンドン警察へ届いた一通の手紙がきっかけです。

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これは「親愛なるボス」から始まる手紙です。

親愛なるボス

警察が私を捕まえたも同然と聞いたが私は捕まる事はない。

レザーエプロンの冗談は本当に笑った。

私は売春婦が嫌いだ。

捕まるまで殺し続ける。

捕まえる事ができるか?

私は自分の仕事が大好きでまた始めるだろう。

お前はすぐに私の面白いゲームの噂を耳にする。

この前の仕事で私は適当な”赤いもの”をインクに使おうと思ってジンジャービールの瓶の中に入れていたんだけどのりのようになってしまい使い物にならなくなった。

次の仕事は女の耳を切り取り、楽しむために警察へ送ろうと思う。

私が次の仕事をするまでにこの手紙をみんなに配ってくれ。

私のナイフはとても鋭い、すぐにでも次の仕事に行きたい。

切り裂きジャックより

PS
自分の無能さを呪え

私の事を医者だと言ってるお前ら、はは。

このような内容の手紙が届きます。

当時、警察は手紙がデマであると考えていましたが、第三の殺人で手紙が信憑性を帯びる事になります。

ダブル・イベント

第三の事件が起きたのは9月30日。

警察へ手紙が届いた翌日のことです。

犠牲となったのは「エリザベス・ストライド」という名前の44歳の女性。

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エリザベスは1860年にヨーテボリのカール・ヨハンの家で女中として仕事をしますが、数年の間に地域を転々とする生活を送るようになります。

1865年までにはヨーテボリの警察によって娼婦として登録され、性感染症の治療を2回受けており、同年には娘を出産するも死産となりました。

翌年にはロンドンへ引っ越し1869年に大工の夫と結婚するも、1877年にエリザベスは貧民のための労働施設に収容されており、この時には既に離婚していたものと思われます。

1881年に二人は再会するも、その年末にはまた別れる事になったといいます。

夫と別居した後、エリザベスはロンドンのスウェーデン教会から援助を受け、ホワイトチャペルの宿泊施設で暮らしていました。

また、裁縫と家の清掃の仕事もしていたといいます。

遺体が発見されたのは1888年9月30日の午前1時ごろで、今までの遺体とは違い、身体に切り裂かれた様子はありませんでした。

しかし、頭部は無残なもので、喉と鼻から頬にかけて切り裂かれており、眼球も潰されていました。

どうやら殺害した後に通行人の気配に気づき途中で犯行を断念せざるを得ない状況であった事が理由だといわれています。

その男が犯人かわかりませんが、ユダヤ人の社交倶楽部の建物の反対側で硬いフェルト帽を被った男と一緒の彼女が目撃されています。

その男は45cmの長さの箱を持っていたという事です。

また、この日には続けて犠牲者がでます。

連続切り裂き事件が起こった事で、この日のことを「ダブル・イベント」と呼んでいます。

第四の犠牲者となったのは「キャサリン・エドウズ」という46歳の女性です。

キャサリンには3人の子供がいましたが、結婚はしていませんでした。

内縁の夫と呼ぶか、愛人と呼ぶかは微妙なところですが、その関係は1880年には終焉となります。

晩年にはアルコール中毒となり、売春婦をして生活をしていました。

事件当時も泥酔状態でいたところを警察に連行され、エリザベスが殺害された時間辺りに釈放される事になりました。

拘置所を出た後は教会付近で男と立ち話をしている姿が目撃されており、その後、マイター広場付近で遺体で発見されました。

喉が切断され腹部には長い切り傷があり臓器が引き抜かれ、左腎臓と子宮の大部分が切除されていたといいます。

また、この事件では鼻と右耳の一部が切り取られていたということです。

先日届いた手紙に書かれていた耳を切り取る事が実行されていた事から、手紙は犯人から送られたものである可能性が高まります。

警察はチラシを公表し「切り裂きジャック」の名前が広く知られるようになりました。

これは世界的にも有名になり、多くの切り裂きジャックを自称する手紙が届けられたり、模倣犯が現れたりするきっかけとなりました。

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新たな手紙「サウシージャッキー」ハガキが届く

10月1日に新たな手紙「親愛なる手紙」によく似たものが届けられました。

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ハガキには「生意気なジャッキーのダブルイベントを聞くことになるだろう。警察に耳を届ける時間はなかった」このような内容が書かれていました。

ダブルイベントはエリザベスとキャサリンの殺害に言及したもので、事件の後、24時間後に消印されたハガキでした。

これは新聞社に届けられたもので、新聞で報道された後は1日20通、同様の手紙が届くようになったといいます。

親愛なるボスの手紙と酷似しているものの、ジャックからの手紙であるかについは断定できませんでしたが、予告の内容が正確で犯人だけが知っている情報が書かれていた事から本人からの手紙であるという見方をされています。

しかし、一方では新聞社が売り上げアップを狙うためのねつ造ではないかという声も多くあがりました。

また、キャサリンの殺害現場付近から少し離れた場所では血液と糞便で汚れたキャサリンのエプロンが発見されました。

ナイフを拭ったものとみられており、遺留品のそばにあった壁に

ユダヤ人は何も悪いことをしていない

このようなスペルの間違った文字が見つかっています。

反ユダヤ暴動が起きる事を恐れた警察はすぐにこれを消すように指示したため、写真などは残っていませんがもし残っていたのであれば筆跡など大きな証拠になったかもしれません。

「地獄から」手紙と共に臓器が送りつけられる

前回のダブルイベントの後、10月16日、ホワイトチャペルの警察へ再度、手紙が送られます。

この手紙は「地獄から」という見出しで書き出されており、手紙と一緒に腎臓の一部が入っていたといいます。

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地獄から

ジョージラスク氏

女性から切り取った腎臓の半分をあなたへ送る。

もう半分はフライにして食べた。

なかなか美味だった。

しばらくしたら切り取った血まみれのナイフも送ろう。

私を捕まえてみろ。

このような内容手紙でした。

届けられた腎臓はキャサリンのものであったのではないかといわれています。

第五、最後の殺人

挑戦状ともとれる手紙を受け取り、警察は厳戒態勢を敷いていたにも関わらず、最後の殺人が行われます。

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被害者の名前は「メアリー・ジェーン・ケリー」で当時25歳でした。

他の被害者とは違いまだ若い女性で、最後の犠牲者という事もあり、色々な尾ひれがついて人物像が今に伝わっています。

ただ、証言から見た目はかなり美しく魅力的であったと語られています。

メアリー・ジェーンはカーディフから1884年にロンドンへ移り、売春宿で仕事をしていたといいます。

1887年にジョセフ・バーネットと出会い同棲をはじめたという事で、他の娼婦とは違い自身の部屋を持っていました。

その頃はメアリー・ジェーンは売春をやめていたようですが、ジョセフが魚市場での仕事をが正規雇用から落ちた時、再び娼婦となったといわれています。

また、他の犯行と決定的に違ったのが犯行現場です。

11月8日の午後11時45分に山高帽をかぶった男性と一緒にメアリー・ジェーンは自室へ入って行った事が目撃されています。

上の階の住人からは彼女が楽しそうに歌を歌っていた声が聞こえていたが午前1時半頃に音は止み、午前5時45分頃に誰かが部屋を出ていく物音が聞こえたといいます。

遺体を発見したのは家賃を取り立てにきた男性で、どれだけドアを叩いてもメアリー・ジェーンが出てこなかったため、部屋の窓ガラスを割って部屋に入ろうとしたところ、凄惨な事件現場を目撃する事になります。

今までの事件は屋外で行われていたのに対し、メアリー・ジェーンは自室で殺害されました。

そのため、切り裂きジャックには多くの時間の猶予があった事から今までよりも更に凄惨な犯行をする事ができたのだと思われます。

身体はベッドに裸で横たわっていて、喉は背骨まで切断されており、内臓はほとんど体に残っていない状態で子宮、乳房も切り取られていたといいます。

腸は壁の版画を固定していた釘につるしてあり、心臓は枕の横に、乳房や内臓はテーブルの上に置かれていて、耳と鼻が削がれた状態であったといいます。

なぜ捕まらなかった?

一般的に、メアリー・ジェーンが最後の犠牲者であるといわれています。

その後も模倣犯が出ましたが、切り裂きジャックの事件で遺体を調べた病理学者などが切り裂きジャックの犯行ではないと言及するなど、同一人物の犯行として断定できる事件はメアリー・ジェーンの殺害が最後となっています。

この5件は切り裂きジャックの事件として断定できるとしているもので、切り裂きジャックの犯行の可能性がある事件は全部で20件以上あるということです。

また、容疑者として当時の警察が連行した数は100名を超えるといわれており、全く犯人が絞れていなかった事がわかります。

というのも当時のホワイトチャペル近辺がかなり治安の悪い地域であった事も関係していて、殺人事件は日常的に起こっていたため特定する事も容易ではありませんでした。

また、当時は馴染みのなかった劇場型犯罪に乗っかる模倣犯、イタズラの手紙なども犯人の隠れ蓑となったのではないでしょうか。

現代であれば科学捜査の技術が発達しているため、犯人をすぐに特定する事が可能かと思いますが、当時の捜査能力ではDNA検査などもなかったため証拠不十分となるケースが多かったと思われます。

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DNA鑑定の結果、切り裂きジャックが判明?

これまで切り裂きジャックのDNA鑑定は2度行われており、最近の報道で3回目のDNA鑑定をした事が明らかとなりました。

1度目は手紙からDNAを採取し作家のパトリシア・コーンウェルが大金を使い調査をしたことでも有名です。

犯人として浮上したのは「ウォルター・リチャード・シッカート」。

ウォルターはドイツ人の印象派画家で切り裂きジャックを連想させる絵を何点か描いていたといいます。

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シッカート作カムデン・タウンの殺人

しかし、本当に切り裂きジャックの真似をして手紙を送る人が続出していたため、本当に切り裂きジャックの手紙だったのかを断定する事はできない事、また、切り裂きジャックはそもそも手紙なんて残していないのでは?という声もあり、手紙の真偽が定かではない以上、ウォルターを犯人として断定する事はできませんでした。

2度目はイギリスの企業家であるラッセル・エドワードが競売で出された事件被害者のキャサリン・エドウズのショールを購入し、科学者であるヤーリィ・ルーヘレイネンへDNA解析を依頼しました。

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シルクのショールに血液と精液が付着していたという事で、DNA鑑定の結果、犯人として浮上したのは理髪師であるアーロン・コスミンスキーです。

ポーランド系ユダヤ人であり、切り裂きジャックの目撃者が似ていると証言されている人物で、精神病院への入退院を繰り返しており刃物を持って街をうろつくなどしていたといいます。

また、痴呆症で話す事が支離滅裂と担当した医師からの記述があります。

まさに犯人と思えるような容疑者なのですが、後に行ったDNA鑑定にミスがあった事が発覚。

コスミンスキーの子孫に稀なDNA形状(314.1C)が発見され、同型のDNAがショールから発見されたという事でしたが、珍しいと思っていたそのDNAはヨーロッパ人の99%が持つ一般的な遺伝子「315.1C」を読み間違えたということです。

このミスによって希少性が10倍も上がってしまったのではないかといわれています。

今回の3回目の調査は、2度目の調査と同様にヤーリィ・ルーヘレイネンが行ったもので、前回同様にショールから遺伝子を採取して鑑定しました。

するとシルクのショールから検出したDNAサンプルの鑑定結果がコスミンスキーの子孫と関連性が認められたという事です。

今回は有識者達による査読を受けているという事から、信憑性が高いとみられていました。

しかし、今回の鑑定にも多くの問題があるということです。

今回のDNA検査でも犯人を断定する事はできない

ミトコンドリアDNAが鑑定に使用されたという事ですが、ミトコンドリアDNAは母方の祖先が分かる検査を指します。

何世代にも渡り変化することないため、このDNAによって「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる現生人類の最も近い共通女系祖先が判明しました。

アフリカに生存していた女性で、共通の祖先のうちの一人としてそう名付けられました。

ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはありません。

日本人で考えると親戚の親戚の親戚の親戚の…を繰り返した、もはや他人と呼べるような人物にも似たようなミトコンドリアDNAが検出されます。

そのため、ミトコンドリアDNAが一致していたからといってそれが犯人であったと特定する事はできません

1880年から1914年の間には15万人のユダヤ人が移民として入ってきており、イーストエンドのユダヤ人人口は1905年には12万人を超えていました。

そのため、当時アーロン・コスミンスキーと同じミトコンドリアDNAを持つ人は珍しくなかったと思われます。

DNA鑑定の結果では茶色の髪と茶色の瞳の人物であると出ており、当時の目撃証言の一部と一致しますが、別に褐色の目だったという証言もあります。

また、鑑定に使用したショールなのですがこちらはシルクでできており、貧しかった娼婦が持つには不釣り合いなものであると、そもそもキャサリン・エドウズの物じゃなかったんじゃない?という声もあります。

そのため、切り裂きジャックの正体が判明したと報じられていますが、前回のDNA検査の時のミスが取り消されただけであって真犯人を特定するに至っていないという事です。

結局、まだ未解決事件のままなんですね…。

今回の検査結果が今まで出た陰謀論を覆す結果にはなり得ませんし、他の調査で出ている犯人は女性説を否定する事もできません。

切り裂きジャックは依然として謎のまま、未解決事件として残されています。

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